※このページは、(財)和泉市産業・観光振興協会の資料ご提供によります。 |
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穏やかな気候風土、清く豊かな水に恵まれた和泉市。私たちのまち、和泉市は遠くは弥生時代より開け、遺跡などの文化財が数多く残されている歴史のまちです。南北に細長い市域は、84.99平方キロメートルあり、北部の市街地と南部の山間部に大きく分けられます。江戸時代の"和泉木綿"以来の伝統を持つ繊維工業をはじめ、人造真珠、ガラス細工、花卉(はなき)栽培などが盛んで、南部の山間部は丘陵地帯を利用した温州みかんの栽培で知られています。 |
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「彼国清水多ク出ル処ナレハ、和泉ト号ス、和泉ハ水ノ名ナレバケリ」(「日本得名」より)といわれているように、古くから清水が多く湧き出たところで、和泉の地名も、泉井上神社の境内にある「和泉清水」に由来しています。
神功皇后が新羅出兵の途中、この地を訪れたところ、地中に波音があり、一夜にして清泉が湧き出たことから、それにちなんで「和泉」と名づけられたと伝えられています。そして奈良時代に河内国から三郡に分れて「和泉国」が誕生し、和泉の伝統ある地名を引き継いでいます。
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奈良時代、「和泉の国」の政治を司る国府が現在の府中町に置かれました。平安時代には熊野詣の参詣道である熊野街道が本市を通り『蟻の熊野詣』といわれるほどの賑わいを見せ、今なお「小栗街道」として当時の面影を残しています。江戸時代には幕府の天領や伯太藩領となり特産の「和泉木綿」や農業が発展しました。
明治初年の62村から明治22年には町村制施行により12か村に合併、綿織物やみかんづくりなどの農業で栄えました。昭和31年9月1日、当時の和泉町と北池田、南池田、北松尾、南松尾、横山、南横山の1町6か村が合併、人口約5万人の市として第一歩を踏み出し、昭和35年には八坂町、信太村を編入、現在の市域を形成しました。
平成10年には人口が17万人を突破、「和泉中央丘陵整備事業」、「和泉市和泉コスモポリス土地区画整理事業(テクノステージ和泉)」、「和泉府中駅前再開発事業」等の大プロジェクトも進行しつつあり、近い将来、20万都市になる可能性が十分にあると言われています。
平成18年9月1日には市制50周年を迎え、今後ますます発展していく事が期待されています。
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●電車でのアクセス |
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●自動車でのアクセス |
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